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新潟家庭裁判所 昭和52年(家)1694号 審判

申立人 石山美佐子(仮名)

右法定代理人親権者母 石山恵津子(仮名)

相手方 石山尚雄(仮名) 外一名

主文

本件申立を却下する。

申立費用は申立人の負担とする。

理由

第一申立の要旨

申立人は相手方両名に対し申立人の扶養料として、申立人が成人に達する月まで毎月金一万五、〇〇〇円宛の支払を求めた。

その理由は、「申立人は、申立人法定代理人親権者母のもとで養育されているが、同人に充分な収入がないうえ、申立人の父誠は所在不明の状態にあるので、同人の父母である相手方両名に対して扶養料の支払を求める」というにある。

第二当裁判所の判断

一  本件資料と当庁昭和四八年(家イ)第二〇三号扶養料申立事件の記録によると、以下の事実が認められる。

1  申立人らの生活歴と本件申立に至る経緯

(一) 申立人は、昭和四二年八月二二日、父石山誠(昭和一六年一二月八日生・高校卒、以下誠という)と本件代理人である母恵津子(昭和一〇年五月九日生・高校卒、以下恵津子という)間の長女として生れた。誠と恵津子は、昭和四一年一〇月ころ、挙式を経て東京都内で同棲を始め、申立人出生の直前に婚姻届を了した夫婦であり、同棲当初、誠は、○○製品の原料製造会社の店員として、恵津子は、事務員としてそれぞれ働いていたが、間もなく、誠が以前からの怠け癖を出し、自ら正業に就くことを嫌い、専ら恵津子の収入に依存した生活を送るようになつたため、一家は、生計を維持することができなくなり、申立人出生直後の昭和四二年九月、夫婦の郷里である新潟市に転居した。

(二) しかし、誠は、その後も相変らず勤労意欲を欠き、定職に就かず、自らは転職と無為徒食の生活を重ねたため、一家は、帰郷直後から誠の両親である相手方両名の許に寄寓することとなり、以後、夫婦の双方の実家からの援助に依存した生活を続けることとなつた。しかして、誠は、恵津子の両親(四五万円)をはじめ、友人・知人から借金を重ねた末、昭和四四年一一月二三日、恵津子らの反対を押し切つて、炭坑夫として働くと称して単身、北海道へ赴いたが、その後、戻らず、恵津子と申立人に対しては何らの送金・連絡を絶つたまま、現在に至つている。

(三) 恵津子と申立人は、その後も相手方両名の許で生活を続けていたが、上記状態が長期に及ぶにつれて次第に負担を感ずるようになり、昭和四五年三月末からは、恵津子の実家に寄寓し、現在に至つている。

(四) その後、恵津子は、申立人の立場を重んじ、同人とその祖父母である相手方両名間の交流を保つことを心掛ける一方、両名に申立人に対する扶養援助を求め、両名も誠の恵津子の両親に対する四五万円の債務を昭和四七年一二月までの間に分割して立替弁済する一方、恵津子からの求めに応じて、昭和四六年一一月から申立人の保育園料の援助という形で毎月三、五〇〇円を支払つたり、申立人に対して被服等を買い与えたりもした。

(五) しかしながら、他面、相手方両名は、自らは、誠が戻ることによつて以前のように同人から依存されることを避けたいと願つていたこともあつて、昭和四八年に入るころからは恵津子に対して誠との離婚と恵津子らの荷物の引取りを求めるようになつた。これに対し、恵津子は、専ら申立人の立場を重んじて誠との離婚を望まず、却つて、相手方両名に対しては、いわば誠に代つての一層の援助を求めるようになつていつた。

(六) かくして、恵津子らと相手方両名の間にはいつしか対立的感情が生ずるようになつたが、昭和四八年三月ころに至り、恵津子は、相手方両名に申立人の上記保育園料に対する援助の増額を求め、両名からこれを断られると、同年六月一三日、申立人の法定代理人として、当裁判所に、相手方両名に対して申立人が成人に達するまでの間毎月一万円の扶養料の支払いを求める調停を申し立てた。そして、同調停手続〔当庁昭和四八年(家イ)第二〇三号扶養料申立事件〕において、同年七月二七日、両者間には、「相手方両名は連帯して申立人に対し昭和四八年八月から昭和五一年七月までの間、毎月各六、〇〇〇円の扶養料を支払うべき」旨の合意が成立した。

(七) 相手方両名は、その後、申立人に対して上記合意通りの扶養料を支払つたが、他面、相手方両名と恵津子らの交流は、益々疎遠化していつた。そして、恵津子は、上記合意による扶養料の支払終期が近づいた昭和五一年七月二一日、再び申立人の法定代理人として、当裁判所に本件調停を求めた。しかして、同調停手続〔当庁昭和五一年(家イ)第二七五号扶養料申立事件〕は、昭和五二年六月二七日、合意が成立する見込のないものとして、不成立で終了し、本件審判手続に移行した。なお、この間、誠は昭和四七年と昭和五〇年中に相手方両名に対して旭川市内から金の無心などをしてきたのみで、恵津子に対しては前記の如く、相変らず何らの連絡もしていない。そして、同女は、本件調停を申し立てたころから誠との離婚を決意するに至つている。

2  本件関係者の現在の生活状況

(一) 申立人と恵津子

両名は、前記の如く、現在、恵津子の父母である西井俊一(七四歳位・小学校卒)・キミ(七一歳位・小学校卒)、弟である西井努(三九歳位・高校卒)と共に生活している。俊一は、かつて○○に勤めていたが、昭和四三年に退職し、その後は○○マンションの管理人として働いている。努は、○○○製造の下請をし、恵津子もこれを手伝つている。キミは無職である。申立人は、現在小学校四年に在学している。

(1) 資産及び債務等

一家の資産は、俊一が昭和三八年ころ購入した現住の土地(約七〇坪)・家屋(約一八坪)のほかにとりあげるべきものはなく、債務は、上記不動産購入代金の月賦が四、〇〇〇円あるほかにはない。

(2) 収入

俊一は、毎月、○○から約一〇万円の年金を、上記勤務先から一万五、〇〇〇円の手当をそれぞれ受給している。恵津子(貧血症)と努は、いずれも病気勝ちで充分に働けないため、上記下請作業で毎月それぞれ約一万円を得るに過ぎない。恵津子は、その他、毎月一万九、五〇〇円(但し、昭和五二年九月までは一万七、六〇〇円)の児童扶養手当を受給している。

(3) 支出

申立人は、現在、剣道・珠算・習字の塾へ通つており、その月謝のみでも毎月、各二、〇〇〇円を支出しており、同人の生活費は、毎月、合計三万円ないし四万円となる。そして、申立人を含む俊一一家は、上記(2)の総収入を生活費として消費しているが、生活状態に余裕はない。

(二) 相手方両名らについて

相手方石山尚雄(明治四四年九月二〇日生・高等小学校卒)・同ハルノ(大正三年二月一一日生・高等女学校卒)は、現在、二男の勝(昭和二三年一〇月二六日生・中学校卒)と共に生活している。前件調停時には、相手方尚雄は○○業を自営し(月収約四万円)、相手方ハルノは○○○店に勤めていた(月収約三万二、〇〇〇円)が、共に高齢に入り、相手方尚雄は、痔核等を、相手方ハルノは、動脈硬化性心不全・内臓下垂症等をそれぞれ患うようになり、前者は、昭和五一年九月、廃業し、後者は、昭和五〇年六月退職した。そして、勝のみが前件調停時から引続き○○○○○○として勤め、一家の生計を支えている。

(1) 資産及び債務等

一家の資産は、相手方尚雄が昭和二五年ころ約五万円で購入した現住の土地(約二〇坪)・家屋(二階建・床面積約二五坪、建築後六〇年以上を経過)のほかにとりあげるべきものはなく、債務はない。

(2) 収入

本件申立のなされた昭和五一年七月ころは、相手方尚雄の収入は、廃業直前にあつて、一か月一万円~二万円程度に過ぎず、また、相手方ハルノは、上記の如く、既に退職して無収入となつていた。その後、相手方尚雄は、国民年金を、相手方ハルノは、通算老齢年金を受給することとなり、前者は、昭和五一年一一月に四万一、六六六円、昭和五二年三月・六月・九月に各六万二、五〇〇円を、後者は昭和五一年一一月に二三万六、三〇〇円をそれぞれ受給した。勝の毎月の支給総額は約一二万円で、同人は、これから税・社会保険料等を差引かれた約九万円を受給し、そのうち約五万円を相手方らに生活費として渡している。

(3) 支出

相手方ら一家は、上記(2)の総収入で一応生計を維持してはいるものの、その生活状態に余裕はなく、相手方両名は、他家に嫁した長女アツ子らからも小遣いを援助される状況にある。

(三) 誠について

同人の現在の生活状況を定かに認め得る資料はないが、これまでの同人の相手方ハルノらに対する音信による限り、以前の生活態度はその後も改まらず、負債に追われた生活を過している様子が窺われる。

二  そこで、前記一に認定の事実に基づいて、本件扶養料について検討する。

1  本件における申立人と相手方両名の関係

前記事実によると、申立人と誠、恵津子及び相手方両名はいずれも互いに直系血族にある者として、扶養の権利・義務関係を有するが、申立人と相手方両名の同関係は、互いに父母である誠と恵津子、あるいは子の誠によつて果し得ない部分が存する場合に退つて相手方に扶養を求め得る、いわば二次的なものである。

2  本件関係者の収入と生活費

前記一の2の事実によれば、本件申立後、現在に至るまでの申立人・恵津子・相手方両名の各収入額は、以下のとおりであり、いずれも事実上、他の共同生活者から生活費の援助を受けていることとなる。

(一) 申立人

申立人には、固有の収入はないが、母親の恵津子が受給している前記一の2の(一)の児童扶養手当を実質的に申立人の収入とみなしたとしても、昭和五一年中は毎月一万七、〇〇〇円余り、昭和五二年中は、毎月一万七、〇〇〇円余り~一万九、〇〇〇円余りに過ぎないこととなる。

(二) 恵津子

同人の昭和五一・五二年中の各収入は、上記児童扶養手当を除くと、前記一の2の(一)のとおり、弟(努)の仕事を手伝つて得る、毎月約一万円に過ぎないこととなり、同人の現在の健康状態等に照らすと、今後収入が大幅に増えることを期待し得ない。

(三) 相手方両名

前記一の2の(二)の事実によると、両名の総収入については、昭和五一年中は、相手方尚雄の事業所得(多くとも一八万円)・国民年金(四万一、六六六円)と同ハルノの通算老齢年金(二三万六、三〇〇円)を合わせた、多くとも四五万七、九六六円(平均月額三万八、一六三円)であり、また、昭和五二年中は、相手方尚雄の国民年金(六万二、五〇〇円の四回分の合計が二五万円)と同ハルノの通算老齢年金(二三万六、三〇〇円)を合わせた四八万六、三〇〇円(平均月額四万五二五円)であり、更に今後の両名の収入についても上記両年金のほかに期待し得ない。

(四) 誠

同人の収入及び生活状況を知り得ないことは、前記一の2の(三)のとおりである。

3  本件関係者の各最低生活費

誠を除く本件関係者について、昭和五一年七月(本件申立時)と昭和五二年一〇月の両基準時における労研方式による最低生活費と生活保護基準方式による生活費を求めると、別表記載のとおりとなる。これによると、いずれも生活保護基準方式による額が、労研方式による額を上回わることとなるが、生活保護法四条の趣旨に鑑みると、生活保護基準に基づく生活費は、最低生活費と解するのが相当であるので、本件においても上記生活保護基準方式による生活費をもつて各人の最低生活費として考えることとする。

4  相手方両名の申立人に対する具体的扶養義務

(一) 上記2、3の事実によると、申立人の収入額は、同人の最低生活さえ維持するに不足しているのであるから、当然、他から生活費の援助を必要とする状態にあると認められるところ、同人に対して第一次的な扶養義務を負う誠と恵津子についてみるに、前者は、前記一の如く、所在不明の状態にあつて、現実に同人からの援助を期待することはできず、また、後者の状況は、その収入額が自己の最低生活費を下回ることから、同人には他を援助し得る余力はないものと認められる。

(二) しかして、申立人に対する第二次的扶養義務者たるべき相手方両名の状況も、上記2、3の事実によると、その収入額が両名の最低生活費を下回ることから、他を援助し得る余力がないものと認められる。

(三) したがつて、相手方両名には現在、申立人に対する具体的扶養義務を課し得ないというべきであり、本件申立人の場合は、公的扶助に期待するほかない。

三  以上によれば、相手方両名に対して扶養料の支払を求めた本件申立は、失当というべきである。

第三よつて、本件申立を却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 岩垂正起)

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